猫と一緒に暮らすのに絶対必要なもの

これは、あくまでもわたしの、猫と一緒に暮らすことについてのお気持ち表明です。
人には人の事情がありますので、押し付けたいわけではありません。
ただ、これから猫を飼おうとしている人に、猫(に限らず生き物)と一緒に暮らすには覚悟が必要、ということをお伝えしたいと思います。

国内外問わず、コロナ禍でペットを飼う人が増えたというニュースを見かけます。
それ自体は悪いことではないと思います。
でも、コロナが落ち着いて飼い始めたペットを捨てる人が増えたというニュースも、見かけるようになりました。
これは論外です。
これが論外だということがわからない人も、生き物を家族として迎える資格はないと思います。

出会いの形はそれぞれです。
はじめはただ可愛いから、という理由かもしれません。
流行っているから、でも別にいいんです。
最後まで責任もってお世話をするのであれば。

猫と暮らし始めて十数年、考え方もいろいろ変わりました。
ペットショップの生体販売も今は反対していますが、わたしがはじめての猫をお迎えしたのはペットショップどころかペット販売イベントだったりします。
わたしはそこで、はじめての猫、マイダーリンであり運命のジェントルニャン・ギンにゃんと出会いました。

まだ猫の飼い方なんてほとんど知らなかった頃です。
当時の彼氏(現・旦那さん)が猫好きで、その影響を受けていたんだと思います。
テレビCMでイベントのことを知り、行ってみたい!と連れて行ってもらいました。

猫のことを詳しく知らないまでも、メインクーンという猫種は知っていました。
毛の長い、大きくなる猫。その程度の認識ですけど。
イベント会場の一角に、そのメインクーンの子猫がいたんです。
狭いケージに兄弟2匹。生後一月半でした。

今なら、そんな赤にゃんをママにゃんから引き離すなんて、なんて酷いんだ、と思います。
でも当時の私は「可愛い!」ばっかりでした。
そんな風に見ていたわたしの目の前で、2匹のうちの1匹が買われていきました。
1匹残されたメインクーンの子猫。それがギンにゃんでした。

ギンにゃんとの出会いはこんな感じです。
場所も理由も割とひどいな、と自分でも思います。
でもわたしは、ギンにゃんが大好きで大好きで大好きです。

ギンにゃんをお迎えしてからいろいろ、それこそ猫好きの人が聞いたら眉を顰めるような出来事もありました。
そういう思い出もいずれ書いていこうと思っています。

ただ、今何が言いたいかというと、出会いがどうでも、どんな子でも、お迎えして家族になったら最期まで責任もってお世話してほしい、ということです。
生き物ですから、思うとおりにならないことなんてたくさんあります。
病気になればお金もかかりますし、いろいろと制限も出てきます。
これはわたしの現在進行形ですが、病院代で給料がふっとぶなんて普通です。
旅行なんて何年も行ってませんし、実家への帰省もコロナ前からできていません。
通院、投薬があるからです。
我が家の場合は4匹みんな検査も薬も多いから、というのはありますが、いつどんな病気になるかなんて誰にもわかりません
でも。それでも。そういう諸々を受け入れて全うするのが責任というものです。

これはわたしが勝手に思い込んでいることなんですが、ギンにゃんもわたしのことが大好きだと思うんです。
出会いの形がどうであれ、一緒に過ごした時間は、誰に何を言われようとも宝物です。
ギンにゃんは、昨年16歳で天使になりました。
20歳こえてしっぽが分かれても一緒にいてね、とお願いしていたんですけどね。
いまだに思い出して泣いています。
これを書いている今も、ティッシュの山ができています。

お迎えしたからには最期まで投げ出さずに責任もって。
嫌なニュースを見るたびに、これを願わずにはいられません。
この責任を持つということが【覚悟】だと、わたしは思います。
(わたしなんぞが言うまでもなく、当たり前のことですよね)

ちなみに、虐待とかああいう類のことをする連中は、もうダメです。何もかもダメです。
伊坂幸太郎先生の、【ペッパーズ・ゴースト】にネコジゴハンターなる人たちが出てきましたが、実在したらいいのに、と本気で思いながら読んでおりました。
もちろん、そんな事件が起きないことの方がよりよいのですが。

それでは今回はこのへんで。
ではではー。

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